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2014年3月24日月曜日

ジャクソン・ポロック



ポーリングとドリッピングさらにオール・オーヴァー。
そして晩年のブラック・ポーリングへ。
異なる新たなアプローチへの芽生えを残し
事故による死で突然の制作永久中断。
44歳とは惜しいものでした。


やはり50年代の絶頂期の作品群(それほど多いものではありませんが)は大変な見応えありますね。
なにより充実が感じられます。
Powerに溢れています。
いつまでも見入ってしまいます。
この緩急自在なポーリングや変幻自在なドリッピングによる、オールオーヴァーの形式が極まった時期ですね。方法がそのまま最大限に生きている。
それが実にはっきりわかる画像ばかりです。

偶然のコントロール。
何かジョン・ケージを思わせる言葉ですが。
ポロックにとって、単なる偶然はなかった、ということです。
必ずそれらを組織化していたということでしょう。
エルンストもそうでしたが。
際どいところで、かなりの力技のようにも感じられます。
単なる偶然の形体の飛散と錯綜に任せていたらこの充実感は生まれなかったはず。


初期の余白や群れの散在するものから、
中心・外部なくオール・オーヴァーに被覆することは、極めて現代的な方向性ですが、
その先に進むとなると、地と図の関係性や次元の異なる形体面がやはり出現してくるようですね。
何かの有機体が混沌とした原始の暗黒の海から湧き出てくるように。
墨汁のような黒を主体に。もどかし気に苦しげに筆書きが現れます。
(何故か東洋的なものも感じさせるのですが)
ポーリング・ドリッピングの技法が極められた神経組織、シナプスの放電を思わせる煌びやかな空間から
忽然とステイニングー染み込みの平面的技法が加わり、始めて生まれる文字のような形体が発生してきました。
その矢先、その生成はすぐに絶たれてしまいます。

この方向性以外は、マレービッチのような、シュプレマティスム・アーキテクトンの方向性しかないか。もちろんこちらのほうが先(1920年代)ですが。


最盛期イタリアの評論家に「あわれなパブロ・ピカソ」と言わしめたジャクソン・ポロックですが、
ピカソを最後までライバル視していた彼はどう考えていたのでしょう。
少なくとも死ぬ間際の作品群にはまだまだ納得はいっていなかったはずです。
恐らく試作の段階だと思います。
この先はどうなっていたでしょう?



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