AdSense

2014年2月8日土曜日

バロック~ベルニーニ

バロック。わたしにとって、バロックはある種の聖域です。

バッハやルーベンス、ライプニッツそしてベルニーニ、、、
そのなかでもいつか、ベルニーニについては書かなければと思っていましたが、その時ではない
そう思いつつ、ずっと来てしまいました。


わたしが高校時代惹きつけられた「聖テレジアの法悦」その神との出逢い―霊的なエロスに恍惚たる表情を浮かべるその姿と衣装の襞に釘付けになった記憶があります。
これは特別の経験です。ついでに「法悦」という言葉もこの際にはじめて知りました。
コリンウイルソンの言う至高体験みたいなものだな、とその時思っていました。


歪んだ真珠などといえば何やら聞こえはよいですが、これはあくまでも否定的な呼称で、バロックを芸術としては認められないという意味のようです。バロック建築にも「ビザール」とよく形容詞がつけれるていますが、これも「風変わりな」を意味します。

一体バロックとはどのような流れをいうのでしょう?
もっと言えば、ルネサンス―マニエリスム―バロック
どうもこの流れにおける解釈・意味付けに明確なものがないように思えます。

しかし「バロック芸術」を観れば、
ベルニーニに代表される圧倒的な動勢―表現です。
そして技巧における完成。こういってよいのか、ミケランジェロを明らかに超えた。

聖テレジアの天使の矢で心臓を刺されながらも「法悦」に浸るめくるめく姿。
観る者―自分が同様に同時に恍惚としてしまう、とてつもない表現力。

なんというのでしょう?
そう、エクスタシーの元型(イデア)に触れた感覚。
至福の時。官能に凍結する空間。
「法悦」に限らず、ベルニーニの聖女の表情とその衣装の襞は次元が異なります。
これほどの感覚に襲われる表現は他にないです。

ベルニーニとは何か、バロックとは、、、
そうベルニーニに代表されるバロックの芸術家の他を圧倒するもの。


わたしの場合実はこれが謎というかあまりに大きく、これだという形で自分の中に収まりきれずにいます。これは、まだ書きようがない。
これはまだ。

自分の中で消化できていない事柄としてあります。
大建築家でもあるベルニーニが修復に当たったサンピエトロ広場。あのベルニーニ以外の誰にも着想できないと言われる一大事業の一件も当然。







0 件のコメント:

コメントを投稿