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2014年6月8日日曜日

エミール・ガレ アール・ヌーボーで忘れてはいけないもの


久しぶりに美術館の図録を幾つも眺めていたら(最近本の湿気が尋常でないことが分かった)北澤美術館のものが目に留まる。エミール・ガレここ暫く見ていなかった。アール・ヌーボーである。

エミール・ガレ。
アール・ヌーボーのガラス工芸でもっとも気になる作家である。
北澤美術館には何度も(年に一度は)行き、「ひとよだけ」は何度も見た。
「ひとよだけ」がそのまま大きなランプに成っているインパクトは何度見ても薄れない。
行くたびに違う趣がある。違う表情をする。こちらが変わっていくからだ。

「ひとよだけ」は気になる。
黄色い大きめのランプに柄として描き込まれた物もある。
朽ちた樹木に生え一夜で溶けてなくなってしまうキノコをモチーフに幾作もの花瓶がある。

勿論、花は多彩だ。
いずれも植物標本の精確さで作られている。
産毛までが精緻にレリーフれているのは、二回目くらいの時に気づいた。
何と根から描き込まれているものもあった。

ガレは植物学者でもあったため、描かれる花は植物図鑑で見るように精確で、意味のない単純化など一切していない。
研究観察も兼ねてナンシー郊外の森に出かけるのを常としていた。
そこがガレの発想の源にもなっていた。


ガレの作品に触れる機会があったが、厚みがあり重かった。
色が何層にも塗り重ねられ、モチーフは一夜で消えるものでも素材はガラスであっても結晶化を図ったものだと想えた。

茄子、玉葱もモチーフによく使われる。家庭料理によく使われるものが多い。
身近なものを魅力あふれるものにする。
これはガレの思想でもある。

ガレは「産業芸術家」と自らを呼んでいたが、自然界の動・植物を元にした美しい自分のデザインが誰の手元にも置かれることを願った。マイゼンタールの工場のような工房である。
工房に多くの優秀な職人を招き、自分の発想・デザインを事細かに知らせ大量生産に臨んだ。
そのための多くの技法も生まれた。
自分の作品には必ず図柄にマッチしたネーム(Gallé)を入れ、ブランド化し、それにより質の保証と価値の安定化を図った。

そしてもともとガレの資質として持っていた、東洋志向であるが、高島光海を経て知った水墨画の影響もあり、色の研究においてついに「黒」を見出す。
有名な「トンボ」をモチーフにした死を象徴する黒のシリーズである。
この頃のガレのモチーフは全て象徴化されている。
「悲しみの花瓶」とガレのいうシリーズである。
また、使う色は黒一色ではなくその黒を更に際立たせる褐色も何段階にも使い分けられている。
重厚な造りである。

パリ万博でもガラス工芸において、グランプリをものにしている。

その成功により今度は、木の質に拘った家具の生産にも広げていった。
やはり、草花の絵柄は圧倒的なものである。
ここでもガレは大成功を収める。

ドレフュス事件に際しても、新聞やあらゆる機会を通じて彼の無罪を訴え、冤罪をはらすための擁護を続けたことも忘れてはならない。これに尽力したのはエミール・ゾラだけではない。



2014年6月5日木曜日

「アール・ヌーヴォーとアール・デコ」展 ~ 横須賀美術館

色あせない「明るい夢」とか、、、。
どんなところをカヴァーしているのか?

やはり、アルフォンス・ミュシャがメインのよう。
ポスター展示が多いのか?

アールヌーボーであれば、書籍だ。
書籍ならオーブリー・ビアズレーとなるが、、、。

文学性のない展示会か?

いや、ビアズレーも出ている。
となると、かなりよい美術展のようだ。
と思いたいが、かなり風呂敷が広い。
ビアズレーはほんの僅かか?

ルネ・ラリックのガラス工芸も見られるという。
彼のアールヌーボーからアールデコへ
そこに単純化の変遷が見えると。
確かにそうだが、何点くらい来ているのか。
ルネ・ラリックはよい。

それから日本の作家の作品も加わる。

杉浦非水。
このヒトは面白い。
広告・ポスターの優れたものが多い。
「赤玉ポートワイン」は各方面に話題を生んだ。
日本画家からデザイナーに転向。
この人もミュシャ風アールヌーボーから構成的なアールデコまでの作風を残している。





他、工芸品も多く展示されているらしい。

補足 NHKより


どう言ったらよいのか、、、番組上のものだが、力が入っている(笑。







2014年6月2日月曜日

すでに世界は終わっていたのか ~ ヒエロニムス・ボスその1


キリスト教には至福千年説があり、西暦1000年来、終末は近いとされ、1500年ごろ(まで)には「最後の審判」は盛んに描かれている。まさに大流行したという。
その後もずっと描かれてきているのだが、終末は来たのか来ていないのか、それ自体がいまひとつはっきりしない。
「最後の審判」が描かれているうちは、まだ終末は来ていないというのが、大方の見方である。

ただ、終末と言うもの、最後の審判とはどのようなものなのかも、誰にとってもしっかり可視的にし、それに対する対処、制御を行いたいと思うのは普通である。
気持ちの整理もしておきたい。
それを課せられたのが画家である。
これは「大仕事」である。

ボスも「最後の審判」に力を注いだ。
とてもその情景をしっかり事細かく描いてくれているので、一度は目にしておいて損はない。


一口に言ってボスの「最後の審判」には救いがない。と言うのも、審判によって天国行きが決まる者が一人もいないのである。であるため、天国行きを認められた魂を導く大天使ミカエル自体、絵の中に存在しない。全員審判を受けているうちから、地獄の責め苦にあっているような状況が見て取れる。
地獄直通便しかないのだ。
ミカエルは何処で何をしているのか?
恐らくボスに首にされたのだ。

だから、パネルが3枚あるうちの左から順に中央、右へと「最後の審判」は流れていく。
中央で振り分けられないから、自動的に左から右に流れるだけ。
向かって左側には打ち捨てられたかつてのエデンの世界が描かれており、天国ではないのだ。中央はもはや審判なしの(問答無用の)地獄行きの方向しか描かれてはおらず、気の早いものはもうすでに中央パネルの中で、ビヤダルからかと思しきものが実は尿でありそれを無理やり腹一杯に飲まされている。永遠に吞まされる勢いだ。
そして右パネルは短なるその延長でしかない。
であるから、その惨状は筆舌に絶えない。おぞましいの一言。
見てもらうしかない。
ちなみに、わたしは見たくない。
(だが絵が面白いためじっくり見てしまう)

串刺しにされたまま火に炙られる者たち。
臼で轢かれる者たち。
棘の生えたアザミに押しつぶされる者たち。これは肉欲に押しつぶされる象徴のようだ。
腹から暖炉のような焔を出す悪魔やメガネをかけて罪状を読みあげている悪魔もいる。
その側で腹に刀を刺しぬかれている者。
蚊の化け物やその他どう見たら良いのか分からぬ者たち、、、。


天変地異やインフルエンザに精神疾患、様々な人災。
現状を見れば肯けるものだが、われわれに残されているのは地獄のみ、というのも平等と言えばそうだが、日本の偉大な僧も同様の見解のヒトが昔から多い。
ちなみにボスの生まれたネーデルランドでも、天国に行けるのは、3万人に2人だそうである。
微妙な数字だ、、、。






2014年5月29日木曜日

運慶その究極の写実~南伸坊の呪縛から解かれたか?


少し日本の優れた画家についても書けたらと思い、犬塚勉について”NewOrder"に少しばかり書いてみたが、リアルという点において、他にほんの断片的にも書いておきたいのが運慶だった。
思い入れはかなりある。がただならぬ残像も混じっている。

運慶は大変な巨人であり、さらっと書けるようなヒトであるはずはないが、写真を見るたびにダブルイメージしてしまう、もうひとりの芸術家というか評論家というか南伸坊氏がいる。
運慶の作品を見るたびに南氏の姿が重なってくるのだ。
それだけ強烈な成り方であったのだろう。
どの像にも次々と重なってきてしまうのだった。

1度その呪縛からも解かれニュートラルに運慶を観ることが出来るために、改めて図版を観る事にした。
運慶といえば、南氏もすぐに成った、東大寺南大門の「金剛力士」であろう。
この阿形と吽形どちらに成ったか?多分仁王像の一方、阿形の方だろう。
この血管の浮き出るほどのダイナミックこの上ない怒りの像。
またフラッシュバックしてきたのだが、この仏像は寄木造りで作られたことは知られるが、全身が3000パーツで作られていることはやはり驚愕に値する。
これは、2ヶ月でこの二体を造らなければならず、全てのパーツを同時進行で制作する必要があったためだ。
工房制作である。
大仏師が小仏師に作成案と方法を伝えて同時に制作を進める画期的な制作法である。
最後に大仏師である運慶が細かく手直しをして総仕上げをする。
かなりの修正が加えられていることが知られている。
特に腕を大きくドラマチックにダイナミックに捻ったところなどは有名である。
よく日本のミケランジェロと称されるが、その捻りなどの表現はむしろバロック調か?
ダビデ像と比べると表現における動的リアリティに重きを置いていることが分かる。
筋骨隆々なのにお腹のメタボ。
これを両立させる力技も素晴らしい。
単なるリアリズムを超えている。
この離れ業が力強さと信頼感(親密さ)を確かなものとしているのだ。

顔学と言ってしまうとまた南氏が急速に鮮明にリターンというかリブートしてくるが、それはそっとしておき、仏像は「顔」だという。
確かに。
サモトラケのニケ相手に手を合わせて何か願い事をするのはさすがに難しい。顔から観ると飛鳥・平安時代の仏像、特に半跏思惟像などは、その静謐な喜怒哀楽とは無縁の哲学性から表情は人間離れしている。と言うより表情が洗い流されている。思惟そのものを具象化した姿がそれなのだろうが、悩みの相談や願い事の対象とは思えない。

運慶は、南伸坊のように人間らしい。
「八大童子」など今は6体しかないが、全て目元の表現で見事な個性的表情を豊かに生んでいる。彼らも目は玉眼(水晶)を入れており、眼差しの美学とも言えるものを感じる。その瞳孔はかなり開いていて眼前のものに大変な好奇心を持っていることが分かる。子供のもつ究極の表情である。南伸坊氏が気合を入れてマネいや、成ってしまいそうな素敵な魅力に満ち溢れている。
ともかく、ここまで親和性に富む表現であると、親近感も深まる。
彼の仏像には子供が多い。


初期から見ると、その写実性は、しだいにダイナミックな生命感や躍動表現から深い内面を抱えた人間の生々しさ脆弱さすら窺わせる驚愕すべき仏像へと深化してゆく。

ひとつは、「聖観音菩薩」である。
その女性的表現は色香も漂わせる、人の体そのものを感じさせる立像である。特に後ろ姿など、ルネサンス期の写実的像を思わせる美しく優しい繊細なフォルムである。

また、リアルの極としては、東大寺の「俊乗上人坐像」であろう。その突出した実在感は西洋の写実彫刻のどれにも引けはとるまい。生々しく克明な内面の表出。いくら観ても深く微妙な味わいが褪せることは無い。われわれの内面に様々な感情や思考を呼び覚ます顔である。しかし、様式で受け継がれる仏像がここまで凄まじい人間の内面表現に行き着くとは。
さらに興福寺の兄の「無著菩薩」と弟の「世親菩薩」である。二体の涼しく諦観する表情と眉間に皺を寄せ厳しく耐える表情。恐ろしい程の圧倒的な人間描写であり、リアリズムの極北である。

2007年に発見された最晩年の21cmの作品である「大威徳名王像」は小さいながら、彼の到達したリアリズム彫刻の集大成となった。
この作には作成された当初の彩色の痕跡がかなり残っており、頭には鮮明なコバルトブルーが、全身には金箔がピカピカに光っていたことだろうと容易に想像がつく。これは彼の他の作品にも言える。
口元には口髭が面相筆で?ちょろんと丸く描かれてもいたはずだ。
このアーティフィシャルな煌びやかさも当時の人々は観ており、忘れてはならない。



21cmの「大威徳名王像」まで観ている頃には、南氏のナビゲートも特に必要ではなくなっていた。勿論、また南氏が新しいものに成ったらすぐに観てみたいが。スティーブ・ジョブスみたいな。



2014年5月23日金曜日

受胎・感染~偏在するベルメール


「美は痙攣的なものだろう、それ以外にはないだろう」 アンドレ・ブルトン


ハンス・ベルメールは人形そのものを表した作家だ。
ほんの数体の球体関節人形を作成し、それを最適な場所で写真に撮って発表した。
そのむき出しの人形に驚愕した芸術家はみな、人形を作り始めた。又は人形に成り始めた。
球体関節による接合バリエーションは次々に新たな、はじめての少女人形を出現させる。




人形はさらに自由度・自在性を増し、ドローイングや銅版画の優美でシャープな線で増殖する。
球体関節は万能である。
もはや、名状し得ぬグロテスクな肉塊にまで少女人形は肥大する。
ベルメールの狙い通りに。いや彼はこの世にイデアに通じる口を開いた、と言える。




「人形」というものが何であったか、の定義から完全に放たれ、ベルメール曰く、突発的な他者として現在する”人形”。





ベルメールの人形は受胎または感染していった。
アニメ映画に。
夥しい他者の群れが、舞踏にアニメにドールにフィギュアにマネキンのなかにも現れる。
そしてロボットに。
果ては、人間に。

彼女らは、

確かに瑞々しく痙攣する。

















2014年5月20日火曜日

ハンス・ベルメール ~ 球体関節人形の反復

ハンス・ベルメール
1902~1975 ドイツ

画家であり、版画家であり、グラフィックデザイナーであり、写真家であり、人形作家である。
ハンス・ベルメールは反ナチの強い姿勢から、社会貢献に繋がる職業に就くことを拒否。
彼は、ナチス党員であり有用な職業エンジニアである権威的な父親の道具を使い、人形を作り始める。

その人形もアナグラム的な遊びの要素の広がる球体関節というヒトを食ったフザケた装置を幾つも持つ人形である。
球体を接合装置として、腕と脚の場所を付け替えたり、手と足を入れ替えたり、、、その接合とパーツの組み換えによりバリエーションもたくさん出来る。そんな役には絶対立たない遊びを人形作りを通して続けていく。
アナグラムの手法で詩も書いている。言葉遊びにも鋭い感覚を示す。
自費出版で人形の写真集も出す。

筋金入りの反骨のヒトである。
シュールレアリストたちがそんな彼を見逃すはずはない。
アンドレ・ブルトン、ポール・エリュアール、マルセル・ヂュシャン、マックス・エルンスト、イブ・タンギーというビッグネームに迎えられる。
日本ではいち早く、澁澤龍彦が彼を文芸書で紹介する。
種村季弘により名著「イマージュの解剖学」が翻訳され注目を集める。

無意味な人形はそれをさらに無意味にオブジェ化する球体により、益々需要を高める。
サド、ポール・エリュアール、ジョルジュ・バタイユの作品の銅版画の挿絵にもその人形は使われていく。
一般的には、彼は過激でグロテスクで気味の悪い趣味の人形作家と捉えられる。
が、「手垢に塗れたことば」を払拭するための方法論としては、かなり真っ当な評価となろう。バタイユの「眼球譚」の挿絵(銅版画)などで、理解はさほどされなくとも権威は高まる。
ベルメールは単なる高名な芸術家としての場所に押し込まれたか?

ハンス・ベルメールは精神病理学にかなりの知見を持っており、どうやら肉体パーツの置換という発想ー方法論はそこから帰結している。
見慣れたものを解体し再度、観させること。
そこで初めて、単なる透明化した「脚ー意味」が思わぬ物質性を帶びて出現する。
安定した主客関係、主体ー対象関係を打ち砕き、主体ー他者関係を浮き彫りにする装置としての「球体関節人形」その反復。
「他者」とはまた「驚き」であり、「偶然性」を絶えず生産する。
それは時として主体を脅かす。
ベルメールの人形少女は「対象」ではなく「他者」として存在し続ける。
人形とは古来からそういうものとして存在してきた。



ベルメールの戦いは言うまでもなく、ナチ=ファシズムに対する不断の闘争である。
独裁とは紛れもなく他者のいない世界である。
世界は放っておけば必然的に独裁化する。
有用性という透明性ー一義性を打ち破る過激な人形少女遊びにより彼はナチを滅ぼすのである。
その人形は、父親の「手垢に塗れた道具」で作ったものである。


                                             ハンス・ベルメールとは?





*NewOrderの"talk to her"の「人形」とも関連して語っています。まとめてはおりませんが。





2014年5月18日日曜日

人形に見る廃墟性 ~ イノセンス


イノセンスを観た。
かなり前に観たはずだが、全く覚えていなかった。
であるから、新鮮な気持ちで観ることが出来た。

映像のディテールの描かれ方が過剰であった。
プレラファエル派の上を行く充満する描き方だ。
しかもappleseedよりもしっくりする空間だ。
画質が宗教的である。


人間が常にネットに繋がっているーーー。
確かにわたしもiPadを持ち歩いている。
iPhoneがないと普通の生活に支障をきたす。
子供にもGPS機能を常にONにした携帯は持たせている。

人間がサイボーグ化していくーーー。
確かに物質的にも身体的(無意識的)にもサイボーグ化している。
別に端折ってチップを埋め込むことはない。
歯医者で治療を受けインプラントでも埋め込み、コンタクトをし
自転車に無意識に乗っていればバトーまであと少しだ。
ここに再生医療も入ってくる(はず)。おお、STAP幻想!?

人間において外部情報系が確実に内部情報系より巨大化した。
つまり文化情報はDNA情報より強大となった。
すべてはことばの獲得から始まっている。
文化という外部(都市空間)にそれを構築した。
大脳新皮質、前頭葉の発達(相互照射関係)が成り立つ。
生後獲得する情報の方が多いため、外部に延長した身体性に親密に関わり易い物ーiPhoneなどで容易にやりとり出来る。
そして、Cloudに全てを預け、必要とあらばそこから引き出すようになった。
個の中身は空っぽの端末と化す可能性、方向性はある。

しかし文化の中から無意識的に獲得された身体性。
これはある意味、非常に堅牢なものである。
この映画では、”ゴースト”と呼ばれる。
いかにテクノロジーによるパーツが肉体と置換されていようと身体は確かな時間性を保持する。
それを精神と呼び変えてもよいか?
ことばの総体より遥かに大きな領域である。


ここではかなり明確に身体性について掘り下げられている。
そのひとつ、その発展系としての電極を挿して相互に繋がること。
これはすでに脳科学で細かく研究・実験が行われているが、そのインプット・アウトプットのリアリティーは十分感じられるものだ。
繋がれる対象は恐らくなんでもアリだろう。
繋がりたいものも3Dプリンターでどうにでも作れる。
自分ひとりで大袈裟なサイボーグになるヒトも近いうちに出てくるはず。
だれもがすでにサイボーグであるが。

そして「人形」。
人間の美しさをギリシャ彫刻のような理想のプロポーションに型どり、中に何かが込められる余地を残した存在。
その空洞を持った完全体として、この映画にあっては、それは「犬」であったり「子ども」であったり「人形」である。ことばで疎外されていない象徴としての他者。
ことばの要らない、この愛おしさ。
すでにとうに身体化している他者。

廃墟に人形は似合う。
ポンペイにディオニッソスの一際美しい像が相応しいように。
もはや何にも繋がる必要性のないスタンド・アローンな存在。
やはり一個だけで充足している人形。
欠如感も過剰もない、そのような時間に触れたい。繋がりたい。
という気持ちを満たすものとして、それらは在る。
自分にないものとして。






2014年5月16日金曜日

廃墟としての遺跡~その極ポンペイ


廃墟を考える上で、「遺跡」を取り上げてみる。
わたしはこれを廃墟の究極形と考えている。

遺跡、特にポンペイ!

遺跡といえば、そのエンタシスの円柱とともにギリシャの遺跡群がすぐに思い当たるが。

ポンペイは2000人余りが一瞬にして噴火の火砕流(火災サージ)に呑み込まれ絶命したと言う。
そして、2000年の時を 経て遺跡とともにその姿を残したヒトが表情に至るまで、鮮やかに3Dテクノロジーにより蘇った。


発掘時、灰燼の殻を破られ石膏を流し込まれたヒトはどう思ったか?

おーい。


ほんの暫くの間、思念の塊として昏がりに透明なままとどまってきたが、その思念は早速消え去る肉塊を尻目に、どのような変遷を遂げて来たのか?
ただその根拠を失い、微睡み続けていたのか?その質量はどう変わったのか?それとも単に雲散霧消してしまったか?
そもそも時間が、時間そのものが閉じ込められたのだ。永遠が封じ込められたのだ。そこに変化を思う事自体、矛盾か。

この石膏像群。人の作ったものではない。何ら表現の加わらない、それぞれの魂をそのまま可視化したものである。
それは、有る意味遺跡自体が人間の思想そのものを永遠のサンプルとして保存したもので有ることをわれわれに思い起こさせてくれる。
今わたしが普通にそこに住んでいてもおかしくない。
普通に移り住んでもそのまま生活できる。

苦悶に身を捩る男性。
何故また、噴火後に帰ってきた?
ああ、お金が気になったか。
よく分かる。
ヒトは歴史の時間で変わるわけではない。
長い時を経て変わるわけではない。


何も変わらないことが、虚しいのか哀しいのか、面白いのか。
変わらぬまま、いや、永遠のまま忽然と丸ごと消え去る。
遺跡のその永遠性は廃墟の際たるものと思える。

ポンペイは人のそれぞれの想いまで鋳型に封じ込め、このような廃墟のなんであるかを極限的に開示している。



2014年5月13日火曜日

廃墟への憧憬ー2


廃墟はともすれば、中に入れる死体であり、蝉の抜け殻のようなものと言ってよい。

幼いころよく遊んだ、広場に転がった下水管の筒やもっと大きいスチール製の管の中の秘密基地。
何の用途も見つからないが、何かが落ちている、きらっと光るものが拾える空き地。
よくレンズを拾った。蝉のきれいな抜け殻もいっぱいあった。
この余白や余地、ちょっとした冷やりとする風が通る暗がりこそが、廃墟である。
そこは、お墓のように、すーっと静かに気持ちが透明になる。

うちの父の眠る墓地でも、毎日真新しい花束が置かれている墓がある。
手向ける人は常にそこで死を思い、所謂(藤原新也言うところの)死想を深めているすがたが感じられる。
いつもの仕草で墓を奇麗に洗い花束を取り替える固有の儀式をとりおこないながら。
その「跡」からにおい立つメメントモリ。


「死」を少年時代のように眩暈を覚えつつも優しく身近に感じる事が出来る場所が「廃墟」である。
そういうことにする。

「少年期」と「死」は一番瑞々しい繋がりをもっており、その頃の想い(関係性)に無意識的な憧れを抱くとき、その対象として表象される画像が「廃墟」である。

絵に描いたような廃墟もあるが、日常の空間にもそのような時間性を湛えた場所もできる。「廃墟性」をもった場所として。そこには「死」が色濃くあったかく漂っている。
つまり、ここで日常に廃墟性をひと際感じる場所を、「見える廃墟」とする。
そこにいるヒトの無意識的な意思、趣向による関係性はその生成に対しやはり大きい。
自然に物の置かれ方、部屋の構成・流れもふさわしい作りに落ち着く。
そして時間流の親和性がとれていること。

ただそのような想いとは裏腹に、その関係性の実現できない時間性がヒトの神経・精神を疲弊させる空間として固着する。
何というか、単なる箱モノの中で、死が見えない(感じられない)時間が間延びしてそのまま、立ち腐れしてゆく。
そんな部屋が至る所にワームホールみたいに点在する。いや、もう今や偏在するか。
それは「見えない廃墟」として病をひたすら育む。
この時間性の治療は、精神科医、建築家、上司、人間関係、そのビルの管理者にどうしてもらえるものでもないが、関係は深い。


ひとつ。そこに建築そのものの思想はとても大切だと思われる。


「廃墟」に何か憧れる、という漠然とした気持から、その廃墟性をいろいろな場所に感じつつ、所謂「廃墟」、ひょんなところに「見える廃墟」、蟻のように多分増殖している「見えない廃墟」を実に直観的に見てきた。


わたしとしては「廃墟」という「場所」の起源はあたりが付けられた気がする。
しかし、病理学的なところは手に着かない。時間性、記憶の大きさは分かるが。
廃墟テーマの本でも読みたい気がするが、その類いの本は全くと言ってよいほど、持っていない。
(建築と言えばルドルフ・シュタイナーはあった、、、参照出来ていない。ミース・ファン・デル・ローエもあった。)


今回も手がかりなしで感じたことだけをを元に考えてみた。




2014年5月11日日曜日

廃墟への憧憬ー1

何というか、「廃墟」や「廃園」に対する憧憬が私にはある。
一般にそれらは負の意味を持ち、「荒れ果てた跡」といったものだ。
あっさりしすぎて、よく分からない。
わたしは「廃墟」と言って、特に何処の廃墟を実際に探索したわけではない。
世界にどのような廃墟があるとかの知識もない。
単に言葉(文字)としての「廃墟」になんとなく憧れを持っているということだろうか?
だとすれば、
いい加減な話だ。

物は見捨てられた時点で、毎日細部まで点検され洗浄される新幹線と違い、エントロピーの方向へまっしぐらに向かって逝く。

しかし、荒れ果てた、はともかく、「跡」という場所には、やはりどうにも惹かれる。
「跡」とは少なくとも何らかの営みのあった印と言える。存在した証拠でもある。
「痕」でもあるし、「址」でもある。「先例」でもあるし師の「手本」でもある。
「筆跡」でもある。

おお「筆跡」
その描き「ぶり」
そのエスプリと言って良い部分が残った。
むしろもはやそれとしての実質(本体がどの程度残っているかはともかく)を失っている分
いよいよ気配のように立ち登る霊気。
それが息づく場所が「跡」である。

わたしはそこにもっとも純粋な清められた”気”を求めていないか?
そんな場所を夢想して来なかったか?
その場所は純粋に言葉ー文字であったのか?
いや何かの形態ー物は介してたはずだ。

そのような廃墟はいつわたしに音連れたのか?
わたしが憧れを漠然と抱くに至った根拠としての「廃墟」である。
一体何処で見たのか。
いや、何を見たのか?


少し考えてみると、どうやら社会の教科書や図鑑に載っている類いの物々しい廃墟ではなく、Web上に見つかるような此れ見よがしの上空写真などではない。漫画でもコミックでもない。映画で見たか、と言えば、
見た!

タルコフスキー。

絵画で見なかったか。
見ている。

ポール・デルボー
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ
ジョルジュ・デ・キリコ

・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここで「廃墟」を通常の定義を超えて定義するようなことはここではしない。(おこがましい)
感性の論理というより、精神医学の領域に深く入り込む時間性の問題になるはずだ。
ただ、話を進めるため「跡」として確認した範囲で上記の物を「廃墟」と感じるなら、「廃墟」は少なくとも必ずしも表面上荒れ果てている必要はなく、ヒトが全くそのなかにいない必要もない。
そして改めて考えると、普通の生活空間に廃墟は浸食し得るといえる。

逆に廃墟と言うより廃屋が高齢化の進行に従い少しづつ確実に増えている。
経営破綻で暫く放置された末、打ち壊される病院などがある。
わたしはこれらに「廃墟」を感じたことは全くない。

廃墟という言葉を使用する人たちはいたが、実際に廃墟をそこに見る人はなく、病院については無理やり幽霊スポットとされるも、幽霊も出る気にはなれなかったようだ。実際中は落書きだらけだったそうであるし。
そのうちに取り壊され、今では昔からそこにいたかのように全く異なる建造物が建っている。
だが、それが何であるかはいますぐ思い浮かばない。
建物に対する意識なんてものは、通常実際そんなものではないか?
いや、人一倍方向音痴な、わたし特有の地理感覚の希薄さによるものか?
それも関係しているとは思われる。

ひとまず荒れ果てた跡を所謂「廃墟」とするならば、上記の場所(画像)には「廃墟性」のある場所と、称することとし、ヒトが管理不能となっただけの建物に関しては単に「廃屋」とでも呼んでおきたい。(後に整理が必要と思えるが)
そして、日常空間に浸食した「廃墟性」にも、タルコフスキー描くような場所、「実質」つまりここに流れるべき時間性を逸した空間は、極めて普通に在る一部屋であってもそこは廃墟に成り得ると考える。ただその「時間性」の「狂い方」が、われわれの抱く憧憬や焦慮の念や郷愁を惹きつける対象となるか、圧迫感や虚無感や閉塞感さらに鬱を呼び込むような対象ともなるはずである。
わたしは後者を以前何かのWebページで拾い読みした時以来ずっと引っかかっているフレーズ「見えない廃墟」と特別に呼びたいと考えている。その言葉の定義に関しては全く記述はなかったが、文脈の流れにおいてはネガティブな空間に対して使われていたと記憶する。確か建築家の言葉であった。

ここからは精神医学における時間性の問題と建築における時間構造の問題になっていくはずである。もとよりわたしに立ち入れる領域ではないが、書きながら一般人に極めて身近な課題であることは確認出来る事であった。



参考記事:すべて以前にわたしの書いたタルコフスキーについての走り書きといった風なもの

サクリファイス

ストーカー

ローラーとバイオリン

アンドレイ・ルブリョフ       アンドレイ・ルブリョフの画集を見ること



ソラリス

ノスタルジア




2014年5月8日木曜日

ラウル・デュフィ展 Bunkamuraにて 6/7(土)〜7/27(日)10:00〜19:00です。

電気の精

デュフィ展がBunkamuraであります。
6/7(土)〜7/27(日)10:00〜19:00
彼がル・アーヴルを出てパリ国立美術学校に入学する1899年から晩年に至るまでを紹介する回顧展です。


わたしは渋谷は大嫌いな場所、ワースト3に入りますが、Bunkamuraには不本意ながら、よく行ってしまいます。
ちなみに他の二つは蒲田と⚫️⚫️(笑。
⚫️は特に、嫌いです。がどうでも良いです。
デュフィ展です。
勿論、行きます。


ラウル・デュフィ(1877-1953)と言えば、明るい色面に軽快な筆さばきの線描が日本でも人気の画家です。と言う感じで紹介がなされます。
地中海のまばゆい光と解放的な風土、演奏中のオーケストラや行楽地の風景を主題とした作品などから、その様式を完成させたということです。


キャッチフレーズも振るっている。"絵筆が奏でる色彩のメロディ"

確かにラウル・デュフィと言えば、"クロード・ドビュッシーに捧げるオマージュ"など音楽にあからさまな主題を置いたものが多いですね。
ほんとうに音楽が溢れ流れ出そうな絵画です。

今回の回顧展では、フォービズムの影響をうけた絵画、アポリネール『動物詩集』のための木版画やポール・ポワレとの共同制作によるテキスタイル・デザイン、陶器、家具に至るまで、約150点の展示を予定しているそうです。壁画は無理でしょうから(笑 今回”電気の精”を最初に載せました。
実はこれがわたしの一番好きなラウル・デュフィの絵なのですけど。

生活まで、まるごとデュフィで統一出来たら気持ちよいことこの上ないでしょうね。贅沢ですが、重苦しさは一切無い。
ドビュッシー"水の戯れ"を流して長椅子で寛ぎたい。最高です。
一日中寝ていたい。


「色彩と光の戯れの向こうにある画家の本質を引き出します。」との事です。これがテーマなのでしょうか?

"色彩と光の戯れ(出た!よく聞く)"その向こうにある本質?

色彩と光の戯れこそが本質では無いのか?
わたしは本質はその表面にしかないと考えるのだが。
向こうとは?

これから見に行くので、実際によく見て味わってみたいです。



2014年5月6日火曜日

ある写真家の愛娘の写真が海外で大うけとか?!

娘を撮った写真をウェブにのせるのは気が退けるが、ブログに載せるのは抵抗は然程ない。
同じネットワーク上に置くことに違いないのだが。
まず、訪問人数が限られており、不特定多数が閲覧に来ている訳ではない。
まるで、会員を把握してない会員制ブログ状態である。
そこらへんで、写真を少し載せたとして、プライバシーがどうのというほどのことはない。
作った記念写真は、写真館でドレスも借りて撮ってもらっているが、さすがにそれを載せるのは恥ずかしい。
まったくの下手くそスナップがちょうどいい。


今5歳になったところであるから、これからどんどん見た目は変わる。
もう少し大きくなったらやめるが、今は載せても誰だかわからない。
スーパーで買い物していて、あらネットにいた子だわ、はまずあり得ない。

わたしの鉱物カタログを気にいって、しばらく手放さないでいる。水晶、石英関係が好き。

二人の遊び部屋。ここにワークステーションを含め6台パソコンを置いている。
キッドピクスか、フォトショでお絵かき。
i-Tunesで曲を聴いていることもある。
ピーターパン等の映画もここでよく見る。
お勉強ソフトは自分たちからは起動しない。

面白い形好き。これは父親譲りか?
とある美術館に行く途中のオブジェ内。
美術館よりその周辺での遊び場の方が好き。
分かる気がする。


動物大好きの長女。ちなみに、次女はほとんど触れない。動物も次女が来ると抵抗したりするが、長女だとおとなしくなる。落ち着くのか?仲間だと思われているのか?



次女はスピードものが大好き!バランスバイクもかなりすっとばす!もう自転車買ってあげないと。


朝、わたしが出かける直前、行ってらっしゃいをいうところ。
この20分後彼女らも幼稚園に「いってらっしゃい」



この続きはやりません。


2014年5月5日月曜日

ルドルフ・シュタイナー展 天使の国 ~ ワタリウム美術館にて

3月23日(日)~ 7月13日(日)の期間行われています。11:00~19:00 )
〒 150-0001 渋谷区 神宮前3-7-6 ワタリウム美術館 (月)は5/5を除き休館です。
鈴木理策という写真家による写真が展示されているようです。

「天使」とかいうとクレーをすぐに想い起してしまいますが。
「遺された黒板絵」にはシュタイナーが講義で説明に使ったクレーに迫るほどの造形論も宇宙論、抽象画もあるといわれますが。そういったものも観れるとよいのですが。
今回の展示がどのような内容のものなのか?
「黒板画」はあるようです。建築についても。様々なドローイングも、かなりあるようです。
が、はっきりしません。

ルドルフ・シュタイナーは、教育、芸術、医学、農業、建築の各方面において著名ですが、わたしにとっては、「アーカシャ年代記より」の圧倒的な記録書のインパクトが絶大です!
読後暫くの間、言葉も出ないほどのスケールの大きさでした。
恐らくこれらの基盤は徹底したゲーテ研究からくるものだと思います。

わたしは以前、スイス帰りのシュタイナーのお弟子さんの「言語造形ワークショップ」で週一で汗を流していたともあり、シュタイナーは本を少しかじった程度で何か分かるようなものではないことは、悟っていました。
ゲーテアヌム、オイリュトミー、シュタイナーシューレ等の彼の思想の実践の場が多く用意されていますが、「黒板画」がどれくらい観れるのかに、かかっているように思えます。生のシュタイナーの息遣いからその思考に少しでも触れ、共振できればしめたものです。それがこの展示会への期待の部分です。

書籍については、「アーカシャ年代記より」(人智学研究会)が極めつけですが、ここからは、ルドルフ・シュタイナー研究1~4も出ています。自由ヴァドルフ学校等、教育学に関する大変詳しく精緻な研究・解説がなされています。


また、入り易さから行くとシュタイナーの訳と思想に精通している高橋巌氏の著作「シュタイナーの治療教育」、「シュタイナー教育を語る」、「シュタイナー教育入門」、「シュタイナー哲学入門」など大変読みやすく把握に適しています。(角川選書)
さらに高橋さんと荒俣宏さんの対談 「神智学オデッセイ」(平河出版社)これは総合の学としての読み取りがなされており、シュタイナーの原点からの精神史の解読がなされています。
造形論としては、「フォルメン曲線」、「色彩の秘密」、「色彩の本質」(イザラ書房)、そしてゲーテにも大いに絡んでくる「メルヘン論」(風の薔薇)これはすごいです。

人智学出版社から出ている「神秘学概論」ここに「宇宙進化と人間~」が集録されています。
「ゲーテ的世界観の認識論要綱」(筑摩書房)シラーの方法によるゲーテの学問~これは
ルドルフ・シュタイナーの基本を知るための書籍になるかと思います。
わたしが一番よく読んだのは、「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」、「神智学・超感覚的世界の認識と人間の本質への導き」(イザラ書房)です。シュタイナーを読む上では必読書でしょう。

とりあえず、わたしのすぐに取り出せた本ですが、読み返してみたいものばかりです。
特にシラーの方法論。メルヘン論。宇宙進化と人間のめくるめく世界!
 
ワタリウム行ってみようっと。

2014年5月4日日曜日

アッジェのパリ ~新しいプリントの意味


よく言われることだが、アッジェは優れた”撮影写真家”であった。
乾板の現像に対してはかなり無頓着であった。
ほとんどやり方を知っているというレヴェルだったようだ。
この工程を大変神経質に完璧にこなした写真家にアンセル・アダムスがいる。
暗室での困難な作業処理能力にも秀でていた。
アッジェは基本、撮る事にしか興味はなかったらしい。
写真専門家(評論家)たちはそこを残念がる。

しかしこの写真集はアッジェの残した原板から新たにプリントして蘇らせたものであり、「ネガに映しこまれた細部のなんと美しく、豊かなことだろう」(ピエール・ガスマン)という忠実な再現がなされている。実際に、ガスマン氏は、ネガを読み取るのを得意としており、その画像とヴィンテジ・プリントとの間に悲しいほどの差を感じていた。であるからこそ、この写真集は是が非でも出される価値があった。
あたかも、絵画の修復師が古典画家の重要な作品の傷みや心無い無神経な修正を直すように、今日の知識と技術によって貴重なアッジェのネガからこれまでとは違う彼本来の写真が出現したようだ。

枯れたセピア色の古典的な写真である。
見れば見るほど味わい深い。
とても心地よい風が吹いている。
なるほど今は亡きパリが細部まで豊かに映しこまれている。
ここに自己表現だとか、ドキュメンタリーなどという押し付けがましい表現はない。
アッジェはこのパリの光景が早晩消え去るのをよく知っており、自らが残さなければならないという使命を強く感じていた。
何をおいてもそれをしなければならなかった。
絶対の確信をもって。
アッジェはその任務ははっきりと果たした。


マンレイに真価を認められたが、シュルレアリストにはならなかった。
彼は自らを記録写真家であると、生涯言い張った。
芸術写真家ではなく、とても豊かな”撮影写真家”であったのだ。
恐らく撮る事だけで彼の時間は費やされてしまったのだ。


そして、アッジェの死後、アメリカの女性写真家ベレニス・アボットが私財でアッジェのネガを買取り、彼の作品を散逸から守った。
高品質の再プリントもなされ、こうして彼の写真を今も見ることが出来る。



とても贅沢な時間である。



アッジェのパリ




2014年5月1日木曜日

決定的瞬間 ~ アルフレッド・スティーグリッツ

「決定的瞬間」と写真は同義である。その写真集の題名は、アルフレッド・スティーグリッツだからさらにぴったりな題となる。これは、彼を離れ、写真とは何かを語る標語的な形で流行ったと思う。
写真の属性から言って、写真とは何といっても決定的瞬間を撮るもの、と言える。
写真は光学的に瞬時にその場を銀粒子に固定する。
現像時のテクニックも入るが。
印刷物にされれば網目状に定着する。


写真とは、、、。
写真家からすれば、狙ってシャッターを押して場面を切り取る以外のなにものでもない。
基本はそれである。
スティーグリッツはある意味それに賭けている。

ニューメキシコ上空の月を撮った、アンセル・アダムスはグレン・グールドのように現像過程にまでの全工程に完璧に拘ったが、スティーグリッツは捉える事、もっと言えばその場を瞬時に組織することに賭けている。
賭けているではなく、第六感というのでもなく、もっと受動的な、もっと他力な、自分を放下するようなかたちで、捉えている。
言語矛盾であるが、そんな感じでその場を組織している。

ジョン・ケージのチャンス・オペレーションのような方法論?
いや、方法論で撮っている訳ではない。
「わたしは、写真というものにつては、何も分からない」(スティーグリッツ)
となると、「天才」としてしか処理できなくなるが、語ることの実に少なかった写真家のやはり何かをこちらも直覚したい。

こんな全体性を撮りこむ予知能力のメカについて。
まず事態に対し先に行っていなければ、この組織化は無理か。

よく、腕試しのように、素人写真家ががんばって撮る”決定的瞬間”とこれらの写真はどう違うか?
この辺を見比べつつ、確認できるものか?
素人写真なら、手近に何枚もその手のものがある。

まず、スティーグリッツのものがモノクロであるため、抽象性があり文学性を帯びている。また色に関係なく絵に気品があり、重厚であり、その場全体を撮っている。素人のカラー写真が異様に生臭くキッチュで生物学の説明写真ならよいが、場という意識はなく、そこに一片の情緒や詩的な香りもないことが圧倒的に多い。

スティーグリッツが場所の写真であるに対し素人物はことごとく対象の犬のみ、だったりする。
同時性という世界の成り立ちへの洞察がどうやらスティーグリッツの構えの基本としてあるように思える。
空間の切り取ではなく、時間の芸術としての写真を極めた人なのかも知れない。







2014年4月30日水曜日

メメントモリ -3  蝶翳~紅棘~天鏡

蝶翳~

「猫は漬けもの石である。」
この写真集は、すこぶる強力なコピー本でもあります。
これも、何にも言えません。
バカボンのパパに何か言えますか!
というくらいのレヴェルです。

「よく気をつけて見ていると、足もとに、いつも無限の死がひそんでいる。」
死はこの国では探さないと見つからない。
葬式も家族葬でなかなか表に出ない。
お別れの会?は普段着を要請される。
死を何故隠すのか?
死人の顔を何故見せないのか!!



紅棘~

「南の午後、夏、一匹の蠅がわたしの体に影を落として二時間ついてきた。」
一面緑の叢。
蠅の二時間とはどのくらいの時間なのか?
匂い立つ緑の叢の中に時間等というものが果たしてあったのか。
「わたし」という運動体ー異物によって時制が生じた。
「影」の出現とともに。

「歩いていると墓場を巡っている気分になる街がある。そんな街の住人は、死人のようにやさしくて、めんこい。」
確かにあります。
田舎にあるかというと、そうでもない。
都会に残っているかというと、そうでもない。
でもふとしたところに、いまもみつかる。
それは、如何にも、といったところには、ない。
わたしの場合、背中に感じるような場所。
あなたは?

「ひとがつくったものには、ひとがこもる。だから、ものはひとの心を伝えます。ひとがつくったもので、ひとがこもらないものは、寒い。」
わたしがものに夢中になるとき、それは、それにこもった作者の心に共振しているからだ。
わたしがMacに心奪われるとき、スティーブ・ジョブスの理念に共鳴している。
機械による大量生産を経ても、それは消えない確かなものである。



天鏡~

「あの景色を見てから瞼を閉じる。」
そんな景色は恐らくは、何処かで見ているはずだが、思い出せない。
この写真を見ると、ここは、あそこだと解る。
藤原新也はそこを写真に撮ってしまった。
彼が死んだら真っ先に逝くところなのだろう。
写真で見てきたから迷うこともない。

「かつて標高四千メートルの、これ以上青くしようのない真青な空の下で暮らした。あれ以来、下界に降りて、いかなる土地に行っても空が濁って見えるという宿業を背負ってしまいました。」
究極を知ると、すべては中途半端になってしまうのですね。
中途半端な地平に垂直的なベクトルを探すのみです。
出家するのでなく。どこへ移動するでなく。
このままからそのままに。


彼の言葉がすべてそのまま「光画」と形象しています。
「言葉」が画像となるとこうなる、というものをまさに、見ました。


2014年4月29日火曜日

メメントモリ -2 

最近、写真展によく行くことがあったが、やはり良い物を見なければいけない、とこのメメントモリを見て、つくづく思った。

切るところが違うというだけでなく、絵そのものの次元が違う。
その写真家の写真は彼の言葉通りのものである。


「乳海」の章にある「あの、ヒトの群を見たとき、後光がさす、とは、朝日によって逆光されたヒトガタの輪郭が輝くのを言うのではないか、と思いました。」
この写真など、藤原新也だからこそ撮れる写真だと思う。
バーン・ジョーンズが藤原の言葉を理解したなら描けそうな絵だ。
朝日の中のこれだけ多くの群像。
上の言葉の元ではじめて掴まれた画像だ。
もっとカラッと白んだ昼空の中に後光にくるまれた人々を撮った写真家に東松照明がいる。
どちらも、光が何であるか知っている。
光を的確にとらえている。
光が主題化している。
この光のトーンこそがこの言葉を見事に実体化している。

「ありがたや、ありがたや、一皮残さず、骨の髄まで、よくぞ喰ろうてくりゃんした。」
三途の川とはこのようなものかと想うオレンジに静かに暮れる川面に、人骨とそれを啄ばむ鳥二羽の黒い影。
二色だけで描かれた寺の襖絵にも見える。



「眠島」から
「植物は偉大な催眠術師だと思う。」
この緑の抑えたトーンのやわらかで優しい光はまさに天然睡眠導入剤だ。
起きている必要性を忘れる。
植物の生に誘い込む写真。

「いねむりの中にも、覚醒がある。」
眠っているときの覚醒の写真が撮れるのは藤原新也以外にいるだろうか?
ベッドの横に置いておいた夢日記に記述しようとして出来なかった光景を思い出す。

「家にも体温がある。」
藤原の写真にはその場所の体温が写実されている。
どれも精確に。
他の写真家はその写真家独自の温度設定を写真に施す。
奈良原一光は彼独自の温度で統一する。
藤原は一枚ごとにその場所の温度を移す。
あたかも、そこから採取したかのように。



続きます、、、。








2014年4月28日月曜日

メメントモリ ~ 藤原新也

これはまず、決して普段の日常生活で見ることは叶わぬ光景です。
夢の中でもそうは見ないものでしょう。

死体だけなら、、、
自分が殺人現場に居合わせたり、遭難者を山や樹海のようなところで発見してしまったり、突然ほど近い場所にいた人がクマに襲われた、とかいう事件が突発的に起きれば、目にするでしょうが、その時は自分の身もかなり危機的状況に置かれているでしょうけど。
確かに今は、通り魔とか飛ばしすぎや気を失った運転手の乗っている車が突っ込んでくるという避けがたい事件が多くなっています。
特別な場所ではなく、極めて日常的な場所でそれは起きています。

しかし、この写真集にあるように、普通の道端や水浴しているすぐ近くにプカプカ人(行者)の屍が放置されていて、それがなぜかその場所に親和的で、きれいに見えていたりすると、死が大変近い場所なんだな、とその光景が自然に身に沁みてきます。
死体が写っていなくても、彼岸の光景を想わせるあまりに美しい畑など。
何かほっとする清く、牧歌的な風を感じます。
藤原新也の写真ー光画がすべて温かい救いに満ちた光を放っているからでしょう。

人だけでなく、犬も死んでいる。いろんなものが死んでごろごろしている。
これだけ死んでいれば、あるいは死を想わせれば、生きとし生けるものはみな死ぬということに、誰もが思い当たるはずです。
大変健全な姿、光景です。
こういったものこそどんどん見せるべきです。

今、Tvで放送されている子供向けの漫画や実写番組は圧倒的に暴力的で残酷、短絡的で想像性の欠けたものが多いです。これらは親としても見せたくはないのですが、選べないのです。ちびマルコのようなものがあまりに少なく。また一度見てしまうと、中毒気味に惹かれてしまうところがあります。本当に要注意です。


さらに藤原新也の凄さは、コピーにあります。
コピーは今や街にメディアはもちろん、Webに溢れ返っています。
すべて市場にわれわれを連れ出す誘い文句です。
そこへ、、、

「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。」
「太陽があれば、国家は不要。」
「死体の灰には階級制度がない。」
「つかみどころのない懈慢な日々を送っている正常なひとよりも、それなりの効力意識に目覚めている痴呆者の方が、この世の生命存在としてはずっと美しい。」
「眠りは、成仏の日のための練磨のようなもの。」
「母の背は、曠野に似る。」
「つらくても、等身大の実物を見つづけなければ、ニンゲン、滅びます。」
「花を真似た花は、花より愛おしい。赤子を真似た赤子は、赤子より愛おしい。」
「黄色と呼べば、優しすぎ、黄金色と呼べば、艶やかに過ぎる。朽葉色と呼べば、人の心が通う。」
「その景色を見て、わたしの髑髏がほほえむのを感じました。」
「こんなところで死にたいと思わせる風景が、一瞬目の前を過ることがある。」
「日光浴は生命をやしないます。月光浴は死想をやしないます。」
「祭りの日の聖地で印をむすんで死ぬなんて、なんとダンディな奴だ。」
「あの人骨を見たとき、病院では死にたくないと思った。なぜなら、死は病ではないのですから。」

この破壊力です。
上記すべて写真についたコピーです。ほんの一部です。



ちなみにこの写真集の巻頭の言葉。


   ちょっとそこのあんた、顔がないですよ。

2014年4月26日土曜日

第6回水彩スケッチ「水陽・輝水会」展 ~ 水彩画と写真についての覚書

今日、水彩画展に行った。(相模原市民ギャラリーにて)
かなりの点数であった。
みないくつかの同じモチーフを使った水彩画で、風景、静物をグループごとの単位で一緒に描いたものと思われる。

見ながら思ったことだが、油で抽象を描く作家も何故か水彩では具象の習作を描いていたりすることが少なくない。
別に水彩が形式的に抽象に向いていないということはないはずだ。
ただ、具象を描くにあたっては、クロッキー的にまたはスケッチ的に描くには明らかに水彩は適している。
ここだ!と一気に「全体を捉える」うえで一番適した描画法だ。

だから、写真に大変近い捉え方にもなる。(最近写真を見ることが多くなり自然に気にしてしまう)
その構図の切り方やフレーミングにおける意識から。
ひとたび描いたら(撮ったら)その一枚においては、やり直しは利かない。(特に透明水彩)
もちろんそれが光学的に瞬時に定着するか、感性と技巧によって制作されるかの差異はある。
しかしどちらにしても対象に依存した(立脚した)素早い(一回的)「表現」である事に変わりない。


さて、以前わたしは他のブログでWaterlogue~写真を水彩画にするアプリという写真をかなり気の効いた変換パタンで(あえて精度とは言わない)、水彩画の見え方にしてしまうアプリを取り上げたのだが、ソフトによるフィルター変換によって今回見た水彩画展で見られる作品のほとんどのものは現在、出来てしまう状況だ。

水彩画が写真に近い構造があると言ったが、写真は一瞬の内に水彩になってしまう。
近いではなく、ほぼイコールに。
見た目には、であるが。見た目以外に通常調べる必然性もない。
これも科学技術によって、である。(科学技術の支配とは
スマフォやパッドで見る分には分からない。それが高精細パネルであっても。
もちろん、以前からフォトショップによるフォトレタッチで作成することは流行っていたが、このようにワンタッチで水彩画変換に特化したソフトが出ている。


今回の展示会をすべて写真から変換してプリントアウトして並べて飾ったとしても、何ら違和感なく観客は鑑賞して帰ってゆくことだろう。
もはや、どちらがどちらか質的にほとんど分からない。
描いた当人は自分なりに描き、達成感に浸っているであろうし、それはよいのだが、見る側は何か単なる定型パタンを眺めているだけで閉塞感を味わってはいないか?
お友達のがんばりに感心している人たちを除いて。
わたしは、何かを求める気持ちで前向きに見てみたのだが、正直何もなかった。

恐らく、描いている人たちは、技術の習得の過程を見せてくれているわけで、一般に対し展示発表しているにせよ、それを他者からとやかく言われる理由はないかも知れない。
しかし何というかひとつの水彩画としての典型的な型として描かれている以上、それらは容易にテクノロジーの下に同等のものが写真さえあれば、出来てしまう現実がある。
これはどう捉えたらよいものか?


それは見る側の前提となる感性の変質によるものが大きく関与する。
と同時に、制作者たちの感覚も写真文化の中に取り込まれ、その見かたに慣らされていることは事実だ。(写真的遠近法をとっても、少なからず写真的見方は前提化している)所謂、伝統的写実主義の内にあるため、尚更写真から変換しやすい絵だ。
つまりどれをとっても、技量の差が窺える程度で、みな同じなのだ。
イデアが感じられない。


今後、このような展示会はお友達以外に価値を持つ展示会ではなくなってゆくことは確かだ。




2014年4月25日金曜日

東松照明 ~ 泥の王国

本の背を見て、なんだこの日焼けで文字が消えてしまったものは?と思い、手にとったのが「泥の王国」(東松照明)だった。

この写真集は高校の時に観て、確かに泥の国が切り取られているな、という漠然とした感慨をもったものだが、3分の2くらい観たところにあった黒いテントの前に佇む少女の姿に、激しいデジャヴを感じ、それがなんである分からず暫くそのページに見入ってしまったものであった。
その経験を思い出したのだが、それから何十年かが経ち、まずそのページがそれであることすら、最初は、はっきりしないほどこちらの観る目が変わっていることに驚いた。

恐らくその少女のこちらを睨むようなその眼差しと、歯を食いしばっているかのような印象的な口元による表情が、わたしの記憶に沈んでいた何かを呼び覚ましたのかもしれない。もしかしたら当時のクラスの誰かを思い起こすものであったかも知れないし、そのころよく読んでいたオカルト関係の書籍に触発された前世の光景とかの想像がそこに投影されていたのかも知れない。

ともかくいまより感性は瑞々しかったから、いちいちよく感動はしていたものだ。
しかし一度感動したり、目眩に似た感覚を味わったとしても、そこに何らかの言葉がおさまれば、通常のコンテクストに収集され理解されて落ち着いてしまう。(現実に復帰している)

音楽でもそういうことがよくあった。名前の思い出せない音楽が突然流れ出した時の圧倒的な感動とあまりに鮮明な幻想。それに耐えられなくなりそうになり、生命の危機を感じるような畏れを抱いた時にその曲の名前が思い出されてようやく今その時の日常に落ち着くことができた。そんな経験はよくした。

例の写真はとても美しい写真であるから今も観るほどにその魅力に打たれるが、当時の感覚で見ることはかなわない。

何が変わったのか?
コンテクスト(時)が変わったのと、自分の経験(記憶)、言葉、感性、感受性の変化によるものか。
それは当然、音楽に対する趣味も変わったし、昔あんなに良いと思っていたのに、という感慨にひたることはよくあるものだ。LPなどを手にしながら。

これらのページをずっとめくってみて、かつてのその少女のような強い感情を呼び起こすようなものは、ないのだが、鑑賞するうえでは、いずれも優れた作品ばかりで、それを前に充分に時間を費やすことはできる。

そのある現実の切り取りがアフガニスタンでありそこが王国であったころの光景であろうと、特別それで何か興味をそそる物ではないし、珍しさとか変わっているとか名状し難いものを前に判断中止で宙吊りになってしまうとかいうことはない。内容的にも形式的にも。もう何かこころをかき乱すような未知のものなど恐らく何処にもない。

しかし、よく見れば見るほど良い写真集であることが分かってくる。
何をもって良いとか悪いではなく、まず良いものであることが分かるというものだ。
あえてその理由などをでっち上げる気持ちになれない。
ある意味、これらは写真的でないように思える。

被写体たちがみな構えてはおらず、決定的瞬間であることは分かるが、みなが自然でいつもこうしているんだろう、こんな感じの人なんだろうということを研ぎ澄まされてはいるがそれを優しく伝えている。だから表現というような強度をあまり感じさせない。
かといって、わたしの日常のコンテクストにスポッと入り、理解されてしまうほど安易なものでは決してない。一枚一枚の奥行が広く、畳まれた時間もとても濃い。
美しい。

これらの感想がすこしでも述べられるのは、まだ先だ。


2014年4月24日木曜日

消滅した時間 (断片補遺) ~奈良原一高


アリゾナの「ゴーストシティの少女」
もともと廃園に少女はつきものだ。
腕を広げて髪をなびかせローラースケート。
光の空間と闇の空間。
ともにわれわれの空間に繋がっている。
闇の中では大概、少女の親が酒を呑んでいる。


カリフォルニアの「ゴールドラッシュ時代の家」
見事な廃屋。小さな板を一枚剥がすだけで家は跡形もなく崩れ去るだろう。
余所余所しい犬が二匹距離を置いて同じ速度で歩く。
想い出にならない想い出。
消滅した記憶の現場。
犬が引き受けている。


ユタ州の「夜のキャンプ」
動くものなど何一つない木々に囲まれた小高い丘。
ガソリンを撒き散らして走るセダンに付けられたキャンピングカーが白く輝く。
もう夜中だ。
全ては寝静まっている。
しかし、、ここでは昼も朝も寝静まっている。


サウスカロライナの「アドバタイズメント」
おおくの車が駐車するなか。
サングラスをした巨人のエンターティナーが向こうを指差す。
それはうんと彼方ではない。
しかしさほど近くでもない。
車で行かなければ着かないところだ。


ワシントンDCの「ワシントン」
ドームに尖塔が突き刺さっているような、これは墓碑銘か。
ちょうど照準を合わせたかのように
挑発的な巨大な墓は忽然と完成していた。
何も飛んでは来ない。
廃墟なのだから時間はすべて滑り落ちる。


ニューヨークの「砂にうもれた階段」
階段があるところから砂地に消えてゆく。
すべての輪郭がある境界から揺らぎ始め
風の作る砂模様へと同化してゆく。
廃園の自然学。
砂の明暗は強烈だ。



参考記事:奈良原一高 ”消滅した時間”



2014年4月23日水曜日

消滅した時間(続々) ~ 奈良原一高


ニューヨークの「遊技場」
バスケのボールを操る黒い手。
巧みなボールさばき。
どこから!?
誰がほおったのか、いまにも入りそうなボール。
空間の外を現在させる瞬間の凍結。


ニューヨークの「日曜日」
おう、初めての顔の見える人。しかも群像。
と思ったら、人形か?
しかし間違ってもマネキンではない。
かつては人間だった人形だ。
今から、200年ほど前は彼らは人と呼ばれていたはずだ。


カリフォルニアの「グラスと太陽」
夥しいグラスが蛍光灯でも白熱灯でもなく太陽の光に晒されている。
新しい白日夢の始まりだ。
いや、終わりか?
月が太陽に取って代わるまで何とも言えない。
ただ、その頃までには月夜のブランデーが注がれていることは確か。


アリゾナの「電線工事」
ひとりでトラックの上に立ち電線を繋ぐ人影。
時間は分からない。
温度も湿度も分からない。
天気も定かではない。
でも電線は常にまっすぐ引かれてないとまずい。


アリゾナの「ゴーストシティ」
もちろん誰もが胸躍るゴーストシティ!
この世で、ゴーストシティより人気のあるスポットなんてない。
とくにここは平板で薄く、フラットな光が全体を覆っている。
まるで光そのものが初めからないかのごとく。
だからドラマというものは一切起きない。


ニュージャージーの「引越し」
屋敷の軒先に置かれた家具は、持ち出されるのか、なかに納められるのか。
月のない暗い夜だ。
何も見えない。
作業は中断。しかし窓には動く人影が。
もうどれくらい経つ?


アリゾナの「霊柩馬車」
柩に入るべき老人が、向かいに立って眺めている。
霊界の窓-出入り口になっている霊柩馬車。
その柩は鏡より鮮明に見えてしまったものを見せている。
いや、もう老人は中に入っている。
向かい側などという外は初めからなかった。





2014年4月21日月曜日

消滅した時間(続) ~ 奈良原一高

ニューメキシコの「ドライブインシアター」。
広大な空き地に犬が一匹。
空間に対し小さすぎる、スクリーンがひとつ。
ヘッドフォンが目の前に。
「あなた」の声を聞いてみるか?

コロラドの「岩肌の見える窓ーローラースケート場」。
舞台の書割よりもぞんざいな窓のついた岩肌。描かれた段ボールか。
その前を古びた操り人形がローラースケートで通り過ぎようとポーズ。
人形は舞台に降ろされたばかり。
路面はツルツル。気をつけろ!

「トイレット」。
広大な荒地の中にポツンとあるトイレット。
そこを訪れる人。
目を疑うシチュエーション。
不在のコンテクスト。
炎天の中のブラックボックス。

ニューメキシコの「裸のベッド」。
ニューメキシコの名物、”月”を見るにはもってのほか!
マットレスなどなくても、クッションは生きている。
おまけに枕がある。これは謎だ。
周りは空き地。周囲は物語を語る木々。整いすぎている。
月はまだか?

カリフォルニアの「夜のモーテル」。
ポール・デルヴォーが泊まっている。
全く物音をたてない、骸骨と裸婦たちも一緒だ。
ここで絵を描いていたのか?
でも、モーテルには一人も泊まっていないかの如く。
光が柔らかく壁を滴り落ちている。

アリゾナの「インディアン・ロックバンド」。
広大極まりない荒野。
monumentalvalleyを原風景に立ち並ぶスピーカーにアンプ。
そして中央に鎮座するドラムセット。
インディアンと客だけが独りもいない。
最高の舞台。または、デジャヴ。

ワイオミの「長距離バス」。
真面目で勤勉な運転手がいまも長距離バスを運転する。
その距離はもう数千光年を超える。
しかし運転手はタフだ!
一睡もせず、理知的な横顔をまったく崩さない。
いまにも揺らぎ立ち消えそうな幻影となっても、、、。





2014年4月20日日曜日

「消滅した時間」 ~ 奈良原一高

”WHERE TIME HAS VANISHED”
すべてモノクロです。


確かに、「時間」が消滅した「場所」です。
あまりに有名な「インディアン村の二つのごみ缶」の凍結して宙吊りになった缶と稠密な雲に代表される「場所」の写真です。
むしろ大変な速度で移動していた物体が忽然と止まってしまった。
そんな光景。

アメリカのいくつもの州をまたぎ、消滅した時間をフィルムに収めています。
雲がまず特徴的です。
尋常ではない異物感。
空間に固定され永遠に動かない、純粋な「量」自体である「雲」。
それはまた、虚無のように白い。

アリゾナの「砂漠を走る車の影」。
車はもはや何処も走っていない。
少なくとも地上ではない。
影は見えても。
実体は消えてしまった。

多くの写真家が撮影場所に選ぶニューメキシコ、「ホワイトサンズの稲妻」。
他の引いた稲妻の写真との違いは?
音がいくら待ってもしてこない。
さっきまで音が聞こえていたのに。
静謐の中に、忽然と封じ込められた。

カリフォルニアの「海辺のキャンピングカー」。
窓ガラスに薄汚れて貼り付く少女の亡霊。
さっきまでは笑って燥いでたよ。
ほんとだよ。
ごみで汚れた荒涼とした砂浜。

ニューメキシコの「ハイウェイテレフォン」。
何て気持ちよい光景だ!
ここから電話したい。
ここから「あなた」に。
わたしを通して何が語られるのか?

「山の中のレストラン」。
フォークとナイフは客をずっと待っている。
窓も開け放たれたまま。
白昼夢のなかに凍結し。
「あなた」を待っている。

ユタ州では「月夜のエアストリーム・トレーラー」。
あなたは何故、非日常を欲するのか?
「月夜」でしかも「エアストリーム・トレーラー」
時が流れるはずがない。
しかもすべてが模型ではないか?

フロリダでは「炎上する気球」。
火も煙も見えない炎上。
確かに気球はお尻から落ちてる。
妙な角度で止まっている。
トワイライトゾーンでの出来事のひとつ。


全体の10分の1ほどページを捲って見た。
本があまりにでかくて重く、ここで切り上げる。
もう腕が耐えられない。
一枚の写真の中に詰まっている情報を読むには、他の天体の情報を探る要領になる。
実際ここが地球かどうかは保証はない。



どこかで続きをやるかも、、、。


2014年4月19日土曜日

Balthus ~ バルテュス展行ってまいりました。



初めて観る絵がいくつもありました。
小品や習作が主ですが、興味深いものばかりです。

気になっていたライティングですが、可もないし不可もなし。
ただそれぞれの絵に適切な光が当たっていたかというと、疑問ですが。
それほどの設備もないのでしょう。

自分の作品にどのような光を当てるかにかけて、バルテュスは誰よりもこだわる画家ですから、そこは大切です。

さて、今回は彼のお気に入りの持ち物やら、アトリエの実物台模型とか、奥様と一緒に和服を着た姿から、家族の写真(晴美さんも含めた)などにも、かなりのスペースをさいていました。
アントナン・アルトーはしばしば彼を大絶賛し、バルテュスは彼の演劇の舞台装飾も手がけました。
勿論、アンドレ・ブルトンさんもたびたびコンタクトしています。(私のブログ最多出演の)
おっと、リルケを忘れてはなりませんね。幼い頃のバルテュスの才能を認めたひとです。
シュル・レアリスムのお仲間には入りませんでしたが、そこのジャコメッティと友達になりました。
そのへんのことが写真の助けもあり雰囲気的に感知できるところはあるにはありましたが。

ともかくバルティスのことは何でもかんでも見せちゃうぞ、という意気込みはよく伝わるものです。
なにより主要作品の多くが取り揃えられていていることには感心しました。そこは感謝したいくらいです。

でも、あまり周辺的な物まで見せられても、わたしのようなファンでも別にさほど興味はひかれませんね。特別研究でもしている人なら役立つのでしょうか?分かりませんが、メガネも置かれていました。


今回の絵は、ほぼ年代順に並んでいたように見えますが、表面テクスチャーを見ていくと、例の「樹のある大きな風景」あたりからは表面の厚さや、凹凸の激しさが増してきます。
「横顔のコレット」から(もっと前からもはじまっていますが)は、目立って透明色の塗重ねが厚くなっています。

今回もコレットの横顔は、本当に宝石のようでした。
うっとりするほど美しい横顔です。
その横顔の原型は、やはりピエロ・デラ・フランチェスカからかな、と思います。
模写が何枚もありましたが、確な影響を感じられます。
特に、バルテュスは微妙なハーフトーンの階調で造作を描きますね。
淡く輝く横顔と言ったほうがよいかと思いました。
全体的な色のつくり方、乗せ方、その扱いが、ピエロ・デラ・フランチェスカの研究から獲得されていることがわかるものです。
油絵なのにフレスコ調に感じられるものもあります。

色についてもっと言えば、「牧舎」の色のなんという穏やかで、こころ和むハーモニーか。
わたしが特に好きな「樹のある大きな風景」の色調はなかでも圧巻です。
やはりこの絵の前にいる時間が一番長かったです。
バルテュスの風景は特別ですね。
その季節のすべてがその色で十全に語られています。

人物については、先ほどの「横顔のコレット」は勿論、「鏡の中のアリス」、「キャシーの化粧」、あまりに有名な「夢見るテレーズ」に「美しい日々」さらに「読書するカティア」はバルテュスにしか描けないアルトーを驚愕させた少女たちですし、「白い部屋着の少女」、「部屋」、「猫と裸婦」、「朱色の机と日本の女」などしっかり揃っています。そのうち、「部屋」と「猫と裸婦」は思いの他存在感があり、光の描写、ハイライトが美しいものでした。いまでも像が目に残っています(笑 
そう、「決して来ない時」の後ろ姿の少女モチーフも魅力的です。まさにフリードリヒの血脈を継いでいます。全体の基本構図は「猫と裸婦」ですね。
同一モチーフをかなり反復して描いています。素描や下絵もかなりあるようでした。

後期の作品の、例の歌舞伎の「見得」をしているかのような「トランプ遊びをする人々」が異彩を放ってましたね。何とも言えない神秘的で畏怖を覚える顔です。古典的なものにやはり彼は惹きつけられるのでしょうね。

「ジャクリーヌ・マティスの肖像」、「12歳のマリア・ヴォルコンスカ王女」、「ピエール・マティスの肖像」などは初めて観ました。日本の少女の顔の素描がまた素敵でした。バルティスがまたどのように日本を見ていたかの一端を確認できた気がします。他に冗談にしか見えない、ロートレックが描きそうな「小人」は異色のバルティスでした。アイス食べてるのかな?

バルテュスの古典的な絵づくりの趣に、構図などに大胆な題材の扱いがつくづく感じられた展示会でした。



新たに好きになった絵に、「地中海の猫」があります。これはバルテュスの絵のなかでも構図や題材として異色なものにあたりますが、流れの中で見てゆくと、とても自然に見ることができました。
大好きな猫も主人公でご機嫌な大変楽しい絵です。
猫はモチーフによく出てきますが、彼の描く猫はどれも人のようであまり猫っぽくなく、顔が怖いです。
バルテュス家の猫がそういう顔なのか、彼の捉え方がそうなのか?
恐らく両者だと思います。彼も猫には例外的な敬意を払っていますし、そういう高邁そうな顔の猫を住まわせているのだと思われます。


後は、大傑作「街路」と「コメルス・サンタンドレ小路」、(ついでに「ギターのレッスン」、「猫と鏡」)があれば、文句なしでしたが、重要な作品がこれだけ見れれば、満腹です。
稀に見る品揃えでした。




参考記事:バルチュス ~Balthasar Michel Klossowski de Rola~


2014年4月18日金曜日

第15回相模原市写真連盟展

4月17日(木)~22日(火)
10:00~18:00  最終日16:00まで
市民ギャラリーにて

この写真展は加盟団体が7団体あり、作品数も相当なものでした。
ですから、さーっと写真の前を通過してゆく感じです。
中には昭和28年から活動を続けている老舗団体もあります。

少し前にも、このギャラリーにて、「日本報道写真連盟」のフォトクラブ「ユーカリ」が作品展示をしていました。それも、さらっと観ました。


まず、必ずあるもの。

菫色の雲を下にした上空からの写真。
夕日の真っ赤な空。
お祭りの光景。踊る子供や女性。火の燃える様。
鳥や猫の瞬間的な動きの印象的なもの。
高層ビル。
SL。船。
花。
木。
渓谷。
山々。
富士山。
お寺。
畑のひろがり。
この前の雪景色。
所謂、絵葉書で売れそうな風光明媚な景色。
女性肖像、ヌード。
スポーツの瞬間的な動き。
海外旅行での異国情緒たっぷりな街、河など。
それから、自分のテクニックと機材の優秀さを見せるマクロもの。

以上、必ず見られるもの。


ほとんどが、なんというか、キレー!と言ってここぞと撮ったのだな、とは分かりますが。
それ以上のものが伝わってきません。偶然でも。
綺麗ではあっても特に感動できない。
撮った人の記念にはなるだろうが、第三者のわたしに共有できるものは、ない。

ある意味、写真は難しいなと思いました。
フォトレタッチや何らかのフィルタをかけたり、コラージュにしたりはしても、まずそのまま光景が切り取れてしまうことは、表現としては大きな限界というよりマイナス要因だなとつくづく思いました。
前提としての意識がない限り、何も写ってこない。
わーっきれい、までで終わってしまっている。
その先がない。
作品化しない。

ホントに素通りか?と思ったとき、岩田哲夫氏の「早朝の原野」が目に飛び込んで来ました。
これは、いくらでも写真の前で見続けていたい作品でした。
全体の色調がある幅の内にコントロールされていて、そのバンドの中にすべての意味深い味わいのある色が見事に息づいていて、これが写真か?と目を疑ったほどでした。
バルチュスの風景画のよう、と言えばかなり近いものです。
氏のもうひとつの作品、「王滝」が色幅の広さでは遥かに広く、饒舌で多彩で煌びやかですが、「早朝の原野」には見とれました。圧倒的な「作品」になっています。

もし、この展示会に行く暇のある方は、この作品をご確認ください。


バルテュスの展覧会 いよいよ明日です!

まず、間違いなく混むでしょうが、明日行ってみます♡
明日どうにもならないくらい混んでいたら、また後日行きます!

前回2月20日に展覧会の件をほんの一言ご紹介した記事が、他の画家やロックアーティストを熱く語った(笑 記事より訪問者が多かったのには、みなさんのバルテュスへの興味・関心の高さが窺えるものでした。
わたしは正直へこみましたよ(爆


さて、今回のバルテュス展ですが、以前のステーションギャラリーで開かれたものとの大きな違いは、会場の設営・ライトの設定に彼本人が関わっていない点です。(そりゃそうだ)
画家本人が関わっているかいないかは、小さくないのでは、と危惧するところはあります。
勿論、東京都美術館ですから、学芸員が間違いなく確認してくれるはずですが、ステーションでの展示があまりに素晴らしかったので、そのレヴェルの展示がまた見られるかどうかが今回の展示会の評価を必然的に決めることになります。

前回は、環境をまったく意識することなく、純粋に絵に没頭できました。
つまり、絵を見ることにいささかの障害もなかった。
こころおきなく絵を味わうことが叶った。
ある意味、稀有な展示会でした。


わたしがよく行く、ローカル美術館の適当な展示会では、光が絵を覆うガラスにピカピカ反射して、うるさくて真面に見れないことも少なくないです。その無神経さには驚くべきものがあります。
会場係員は隅でじろじろ客を監視していて、小さな子供にいちいち触るなとか、どうとかと煩く注意ばかりしていて、もともと静かに絵を見ていたのに一体何なんだ、と思うこともありました。実にレヴェルが低い!
素人グループの展示会などで、会員と思しき人が得意になって描画法などをお客さんにとくとくと説いている場面などは、かえって微笑ましく耳を欹ててしまいますが(笑


バルテュスはやはり表面のテクスチャをじっくり見たいものです。
その透明な厚みを。
そこに宿る輝きを。
楽しみです。






2014年4月17日木曜日

三岸節子 ~ 乾いた空気そして赤 ~

以前からずっと、気になっていた画家。
赤にこれほどの深みと表情があるのか、、、
女子美(ご近所)を卒業したフランスでも高名な画家。
三岸節子。



その風景画をじっくり見ていると、空気を感じます。
とても乾いた、暑くてもすっきり爽やかな場所です。

そして赤。
静まり返った赤。
石造りの赤。
赤が、三岸さんです。
尾張の血が描かせる赤。
そいてフランスにおいては
ブルゴーニュワインのような赤い大地。
そして彼女自ら命名の
ヴェネチアンレッドだ!

さらに海は青い。
色彩が溢れている。
ここでは風景画が描ける。
イタリヤにもすぐに行ける。
水を描くには、ベニスに行けば良い。
ゴンドラに乗れば良い。
水面から描くと良い。



南フランスがいかなる場所かが良く分かります。
本人曰く、「絶対自由の世界」
日本の風景は油絵にはならない。
それに気づく。
たくさん気づく。
たしかに飽きることなく眺め続けられる風景がどれだけあるか?

毎日の生活の中で、1度じっくり思いめぐらせてみたい。
飽きることなく眺めていられる風景。
そんな風景とは、、、


画家は風景を描き続ける。
描くことは発見につながる。
そしてまた描く。

最晩年には日本に戻り、人物画を描いていたという。
90歳を越えての新たな挑戦!
老いとは、もしかしたら気持ちの問題か?
これは、是非、観てみたい。



20前後の頃、画家で身を立てる決心をした頃の瑞々しい自画像。
刃のような切れ味を感じる恐ろしくも美しい絵だ。
(絵を修行と捉えた人のとてつもない意志の強さを感じる)

ときおり眺め背筋を正したいものだ。



2014年4月16日水曜日

ドガ ~ 外が嫌い?


以前、印象派について書いたあと、すぐに気になったことがあった。
印象派の画家たちは、絵の具とパレット、絵筆を持って、崇拝する自然ー外に向かって出て行った、ような事を書いてしまった後、そうだ、ドガは外に出てない、ということに気づく。

しばらく気にしていたのだが、すっかり忘れていた。

後期印象派のスーラならともかく、モネやルノアールの友達のドガである。
「光の戯れ」よいフレーズだ。(ドビュッシーの「水の戯れ」が自然と流れてくる)その戯れを捉えるのは些か室内では心もとない。

そこで、画集を久しぶりに出して、ドガが何を描いていたか確認することにした。
すると、そうだ、馬も描いていた!思い出した、馬もいた。
馬は、外にいる。
室内にわざわざ馬を連れてきて描くのは無理である。
走れない。
静止した馬を描くならともかく、ドガの馬は走っている。

しかし、馬だけである。他にもあるかも知れないが、多分馬は例外的な題材であったかも知れない。
というのも、馬の絵以外はすべて基本的に室内であった。
例外というものは何にも存在する。

だが、さらにゆっくり見わたすと、ドガは印象派のキャッチフレーズである「光の戯れ」を描いている節が無い!?今更気付いた訳でもないが、再確認すると少しばかり驚く。
ドガは印象派ではピサロの次に展覧会に出品している中心人物である。
これは「光の戯れ」という美しいフレーズは彼らに対し使わないほうがよいかも。

では因数分解すると、何が項として取り出せるかというと、「瞬間の動作」か?いや、無生物も含めると、「瞬間の運動」となるか?
これなら、馬も問題なく入ってくる。
部屋に入らなくとも。

ということで、ドビュッシーの水の戯れが好きなので、印象派でも光の戯ればかり強調してしまった気がするが、「瞬間の運動」を捉えたとすれば、光の瞬きも入ってきてモネたちも悪い気がしないはずだ。

まずは以上、です。

ついでにもう少し鑑賞して寝ます。

やはりドガと言えば、踊り子だ。オペラ座の。
大変微妙な動作がここには伺える。勿論、カフェのお客の姿も同様である。
例えば歴史画のような、モニュメンタルなドラマチックで白々しいものではなく。
まさに写真に撮ったスナップショットばりの何気ない切り取りがある。
この動作の妙こそドガの魅力であり革新的なものではないかと思える。
いや、そんなことは誰もが言っている、という声がすぐに聞こえるのだが。
1度、先ほどのコンテクストの中で整理してから眠りたい。

「瞬間の運動」というのが、ドガーモネを繋ぐにはよいが、ここでは取り敢えず「瞬間の動作」に置き換えて考えると、よりドガの狙いが鮮明に浮かぶように思える。
つまり、ドガは健康的なキラキラする表面的な瞬き運動よりも、構造を伴う微妙な動きの探求により魅力を感じていたのではないか。だから外はもともと嫌いなのに(嫌いなのはわたしか?)馬は別格だったのかも。踊り子ーヒトだけでは物足りず。異なるダイナミックな構造体である馬も描いてみたいな、と思ってもおかしくないし一貫性もある。

今夜はこのへんで、おやすみなさい。








2014年4月15日火曜日

レンブラント 最初に知った大画家


レンブラントと言えば、夥しい「自画像」や集団肖像画であるテュルプ博士の解剖学講義』やフランス・バニング・コック隊長の市警団の集団肖像画所謂、「夜警」が圧倒的な傑作として有名である。歴史画や銅版画、デッサンもレンブラントならでは、と言えるものばかりである。

(わたしは子供の頃、レンブラントは凄い絵かきなんだ、と信じ込まされてきたものだが、長じて実際自分でよくよく見てみると、成程凄い画家であることが分かった。)

集団肖像画が当時流行っていたというが、レンブラントはそれを歴史画的な大変ドラマチックな構図にまとめた。芸術性の高さ、崇高さという点では見事な作品となったが、登場人物が平等に描かれていないという不満を俗物的な依頼主からもたれることも少なくなかった。
しかし、レンブラントは人の言うことなどに耳を貸すような画家ではない。自分が高名な画家として歴史的な存在となる野望をもっていたから、自身の芸術的要請にのみ従い制作を進めていたに違いない。

いずれにせよ、彼は独立した22歳くらいから高い評価を受け始め、先のテュルプ博士の解剖学講義によって決定的な名声を勝ち得てから、肖像画依頼は各方面から殺到し、たちまちオランダ全土はおろか他のヨーロッパ各国に至るまで名声が轟いていたので、すべて自分のペースで制作が出来ていたはずである。
オランダはこの頃、東インド会社成功によりヨーロッパ1の裕福な国となっており、市民社会の勃興による景気はめざましく、誰もが部屋に「絵」を飾ろうとしていた。豪華な衣服を纏った自分の肖像画である。

レンブラントはと言うと有り余る財力で市場に上がってくる国外の珍品や名画コレクションに没頭した。サスキアというこれまた財閥の娘を妻とし、その財源も使っている。
このコレクション癖が後の破産につながる。
しかしこの時期は、ひたすら弟子に囲まれて、歴史画や肖像画、自画像等の量産に明け暮れ、膨大なコレクションに埋もれていった。後に『放蕩息子の酒宴』(レンブラントとサスキア)という居直った名作を発表している。「これでいいのだ」、というノリのちょっとおバカな感じの絵である。

ただ、面白いところは(面白くないのだが)、弟子も周囲に殺到してきて、レンブラントの工房で研鑽を積むのであるが、その弟子たちに平気で自分の作品に手をつけさせたり、大胆に加筆を許したり、こともあろうに弟子が描いた絵に自分のサインまで入れていた(入れるのを容認していた?)ということである。レンブラントの工房にあり、著名がないため師の影響を真面に受けた絵画群は一見紛らわしく、レンブラントの作とされたものも多かった。しかも腕達者による贋作も横行する。どういういきさつからそうなってしまたのか、贋作以外については意味不明の事態である。これによりレンブラントの作品は膨大な数に登ってしまった。オランダ随一の画家レンブラントの作品は勿論、それ相当の高値である。信じて購入したあと、無名の弟子の絵でしたと分かれば、価値は当然大暴落である。

実際に、今世紀レンブラント・リサーチ・プロジェクトが組まれ、贋作や弟子の作品を誤ってレンブラントのものとしたケース、単なるお師匠様の模写、面倒なのは本人の作品を弟子が改悪したもの、(これは大変な時間をかけて専門の修復師が修復しなければならない)が次々に暴かれていった。当然、自分がレンブラントの真正の作品と信じて購入していた人々からは、レンブラント・リサーチ・プロジェクト(R・R・P)は鬼扱い(マフィア扱い)された。
コレクターや美術館は、権威にも関わり、ビクビク状態だ。

しかし面白いエピソードとして(これはホントに面白い)、瓜二つの若い時の自画像についての真贋論争がある。野心に充ちた誇り高い自画像であり、どちらもとても優れた作品である。それがそれぞれ、ニュルンベルクとハーグに所蔵され、長いこと前者がコピー、後者が本物と看做されてきた。「コピー」の方は「本物」よりコントラストが弱く、筆遣いが荒い。
しかしハーグの修復師の赤外線による描写手法の分析から、決定的な結果が報告されることになる。長いこと本物とされてきた自画像にはレンブラントが決してしない下描きの線が発見されたのだ。コピーのための写しの線であった!
これは美術界を揺るがす大事件であった。何と言ってもR・R・Pの鑑定も間違っていたのである。
それ以来、ドイツのニュルンベルク版が真正と認められた。所詮人のやることである。

レンブラントはもともとタッチは荒く、その傾向は後期・晩年へと加速する。
晩年の大傑作『ユダヤの花嫁』は、ゴッホもびっくりの厚塗り、荒描きなのである。
ゴッホはかつて、この絵の前に立ちどまり「何と親しみのある、思いやりに満ちた絵だ。これは燃えるような手で描かれた絵だ。なんという高貴な感情、量り知れない深み。こんな風に描くには何度も死ななければならない。レンブラントが魔術師と呼ばれるのは本当だ。この絵の前で2週間過ごすことができたら、寿命が10年縮まってもよい。」といかにも彼らしい感慨を述べている。

厚塗り・荒描きのレンブラントの特徴であるが、これがレンブラントをまさに「光の魔術師」とするところである。
R・R・Pの分析によると、彼の絵には、顔料にゴム成分が混ぜられているため、絵の具が分厚く定着出来るようになっているそうである。その上に筆やナイフなどによって凸凹がつけられ光の反射を呼ぶことになる。あたかも光をそのテクスチュアが捉え込むかのように。
さらに、『ユダヤの花嫁』の有名な袖の膨らみであるが、その極端な厚塗りは地塗りに鉛白に卵を混ぜたものを使用していることが判明している。それをナイフでバターを塗るような手際で質感を意識して塗りつけ、彫刻のように盛り上げる。乾かした後、黄土色で絵の具を布で拭き取りながら塗りつけてゆく。つまり地塗りを活かしつつ絵の具を厚塗りしてゆくのである。凸凹に反射する光と、内側から発光する輝きで、あの袖はまばゆいばかりに輝くこととなる。
光の魔術師の技法の一端である。

さて、ルミニズムとしての光の使い方であるが、彼の「自画像」や「歴史画」はドラマチックに光と影で演出されている。フラットな光に当たっている作品ー顔は恐らくない。特に顔は光の当て方次第で表情が決まる。つまり内面・感情が表現可能となる。
以前わたしは、3D作品を作って、スポットライト等を複数で向きを変えて対象を照らしてみたが、静止画なら、これで決まると言ってもよいほど、ほんの僅かな角度の調節で大きく表情つまり意味が変わることが分かったことを改めて思い出す。
ライト(光源)の数は重要だ。

というのも、レンブラントに限らず、画家は単一な光源だけでなく、微妙な光の効果を狙い、隠された光源も用意している。窓が空いているからそちらから日が射すというような単純なものではなく幽かに鏡や金属のテーブルに反射した光や何かに乱反射した光なども表情を作るために使っている。画面の外に光源があることもしばしばである。そうでなければ説明のつかない明るみが見い出せる。レンブラントの絵もそうだ。というよりレンブラントの絵こそ、その光によって作られる明暗で意味が浮かび上がってくる。

レンブラントは生家の風車小屋を揺りかごのようにして育ったそうで、風車の回る度に射す光と影が後のレンブラントの源視覚を作ったのだ。という言い伝えがある。




2014年4月14日月曜日

ブルトン~モロー 「ピエタ返歌」

今日は私が師と仰ぐ方のブログから、その感想めいたかたちで私なりの記事を書かせてもらいます。ブルトンにつて知らないことがたくさんあることが分かり、読むべき本についても知らされ、画家・作家たちの流れも意識できました。

ここに原文をご紹介させて頂きます。エストリルのクリスマスローズ

アンドレ・ブルトンの目の確かさは感じていましたし(気になる人のところには必ずいるマメな人ですし)、優れた理論家だとも思っていましたが、さらに奥深い存在だと感じました。
それを取り上げた安部公房、面白いですね。(彼の作品はまだあまり読んでいないので、是非「壁」読みます。)

さてモローはイタリア旅行で、まずは例の御三家と一連の画家を研究したようですが、すぐにウッチェロに強く惹きつけられたそうですね。あの細密に描き極めることで幻想的で目眩を誘うような世界を出現させてしまう彼は独自のゴシック的想像力と幾何学的な構築力そして強力なコントラストの鮮明な色彩ももち、モローの世界を充分に刺激するであろうことは想像に難くないです。それはまた、アンドレ・ブルトンの提唱するシュル・レアリスムに直結しています。

私も子供の頃、「聖ゲオルギウスと竜」はお気に入りで、よく画集で見とれていました。
彼は初期ルネサンスの時期の画家ですが、20世紀のシュル・レアリストがあの絵を描いても何ら不思議はありません。現実を克明に描けば描くほど(ディテールを追えば追うほど)幻想性がます、このことはブルトンから教えられ、その例が、ウッチェロしかり、ダリしかり、カフカしかり、、、と私の中で咀嚼されていきました。

ゴシックは現代において、サイバーパンクなどに引き継がれていると思われます。ファッション的な面で広がっているものは特にゴシックと名付ける必要性は感じませんが、ただある意味、形式的に忠実な継承とは言えないまでも、精神的な意味での無視できない影響ー発現は少なからずあるように思います。
かつても確かにグロテスクな趣向をもち、それが異教的であることから暗黒化されてきましたが、大変芳醇で、魅力あふれるものであったと思います。(狭義には建築のみを指しますが)
勿論、それはシュル・レアリスムに通底しているはずです。

そして、モローも手記などには、シュルレアリストのような事を普通に書いています。特に後期の抽象画ともとれる色彩の扱いなどについて。彼もブルトンと同じく詩人ですし、音楽の造詣もクレーのようにもっていました。
高踏的なところやその生活スタイルもちょっとレーモン・ルーセル的で、ブルトンに無視できるはずないですよね。しかもダリもモローにはとても惹かれていましたから(ダリの鑑識眼も素晴らしいですよね)。

同時期に活躍したモローの絵画と印象派の画家の違いは、その捉える時間性であり内界に絶対的な信頼をおいた、真理ー思想によるか、外界の変幻に徹底して身を晒して得る方法によるかと思います(後期印象派は物理理論を摂り入れ外界を一歩後退しますが)。
永遠の美を探求するモローと瞬間の美を封じ込めようとする印象派の画家たち。しかしモローの色の使い方、筆致には驚愕するものがあり、印象派、フォーブ、未来派、シュル・レアリスムを巻き込むものは確実にありました。そしてあまりに美しい珠玉の名作と言える水彩画の数々。短時間で描かれた、迷いのない、まさに「永遠の美」は特筆すべきものかと。



「ピエタ」とは、モローがサロンに初入選したしたときのものですか?
所在不明になっている傑作!と言われる。
残念ながら私は画集でも見ておりません。

本当に、これらのピエタも他の画家からは生まれ得ない絵ですね。
「慈悲」とは何か、のモローの思索の形ー現れでしょうか?





しかし、生活苦とは無縁の画家であったため、ほとんどの作品は散逸を免れたことは幸いでした。
モロー美術館としてまるごと国家に管理・保存されているわけですから幸運です。


最後に私の大好きなモロー作品を一点ばかり。「オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘」です。模写もして(勿論、画集からです)飾っておいたら、遊びに来た銀座の画廊の人に「個人的に譲れ」と言われ、ちょっと考えました(笑  何を考えとるのか? 想い出深いものです、、、。


参照:ギュスターブ・モロー ~ 時刻表を持った隠者



2014年4月11日金曜日

ベルナール・ビュッフェ ~ 純粋な苦悩 ~

ベルナール・ビュッフェ 
1928~1999 フランス



晩年に輪郭が消えた絵が現れるがそれまで彼の絵を強く特徴付けるものは、
「黒い線。」鉄格子のような。冷たい。
単純化・抽象化をおしすすめても、
イメージ(怒り?絶望?)の横溢をせき止める線が残った。
フォルムを捨てない。
しかしそのフォルムの厳しさ。
表情は孤独に、生々しく。
空間には無数に引っかき傷が走る。
シャープな線というより刺々しい神経を逆なでするような。
顕な傷。

新婚時代の風景画には輪郭線が綺麗に落ち着き
激しい引っかき傷は姿を潜めている。
しかしその静けさはかえって不気味だ。
ノイズがない分、整然として美しく見えるかというと、廃園・廃墟を想わせる。
この上なく美しい廃墟だ。

ビュッフェをしっかり支え、まるごと受け容れ理解してくれる存在との出会い。
だが、彼は画家としてデビューした19歳頃からすぐに美術界から高く評価され、21歳には社会的名声を勝ち得ている。その後も発表する作品が次々に絶賛され、時代の代弁者のような扱いを受け、海外の展覧会でもすべて成功を収めている。

にも関わらず、ビュッフェの苦悩は変わらなかった。
最愛の妻がいても基本的に絵は変わらない。
ここがピカソとは違う。(ピカソは相手によってピンクの時代とかその度に変わる)

すべて、どこかトラークルを感じさせる絵だ。
この黒い輪郭線は余計なもの虚飾をすべてこそぎ取ったあとに残ったというだけでなく、ギリギリのところで生命を維持するための細胞壁だといえる。
それがあるとき内破する。



71歳での自殺(自死)は何というか壮絶なものを感じる。
パウルツェランが80歳、ジル・ドゥルーズが74歳、ニールス・ボーアが80歳で自殺しているが、何故この歳でと思うが、本人にしか分からない恐るべき事実があるに相違ない。(一般的には病気を苦になどよく言われるが)そんなわかりやすいものであるはずがない。
 
彼の18歳の時の作品「部屋」には驚愕する。
この特異な見え方。
われわれが知らない他者ー死者の視線で描かれた「部屋」である。
少なくとも人生の中でもっとも血気盛んな時期に描かれる絵ではない。
ビュッフェははじめから「他者」としてこの世に苦悩を背負い生きてきたのか?

2014年4月9日水曜日

ダリとガラ ~ 燕の軌跡 ~


ダリはスターでもあったため、近しい友人以外の人間か来た時は素早くダリへと変貌したようだ。
普段は大変繊細な人間で、そのままで普通の生活はできないような人と友人であった岸恵子が語っている。


父へのコンプレックス、死への恐怖が根源にあった。
サルバドールという兄が自分が生まれる直前に死んでしまい、同じ名前が彼につけられた。
私は兄の代わりなのか?
兄の写真を観るたびに自分の存在がかき消される気がしたそうだ。

その後ヒステリーの発作に襲われ、以降頻繁に発作になり、病院にも入退院を繰り返す。
この時期、心静まる場所である洗濯場で油絵をひたすら描くようになる。
しかし唯一の心の支えであった母が亡くなる。
妹を描いた絵をピカソに絶賛されたのをきっかけにスペインを離れ、パリに行く。
シュルレアリズムに出会い、心を病んでいたダリはその制作方法に飛びつく。
シュルレアリズムの活動はダリにとって大変大きな意味をもたらした。
そこで会った、ポール・エルアーリュの妻、運命の人ガラに出会う。
ガラはダリにとってはじめての恋人であり、母親であり、マネージャーにもなった。
ダリははじめてガラの前で、自分自身をさらけ出すこともできたようだ。

ガラに支えられダリの中に巣くっていた様々な強迫的なものが解放されていた。
それと同時にガラは彼に秩序を与え、生活を与え、メディアに対するあらゆるマネージメントを施した。ときによってダリの防波堤となり、すべての事務・実務関係の手続きも行っていた。
ダリにはなくてはならない存在であることは間違いなかった。

2人はアメリカに渡り、ガラの手腕で大スターとなり、大儲けをする。
しかし、お金が十分以上入るようになると、ガラは夜遊びに出てゆくようになる。
若い愛人が何人もできていたらしい。

ダリはアトリエに籠り、ガラの肖像を描く。
その後、ダリの絵の中で、ガラは聖女となる。
ダリは奔放なガラに振り回されるが、再びスペインにもどる。
故郷でやり直せると思ったのであろう。
だがそこでもガラは若い男のもとに遊びに行ってしまう。
若い男など何処にでもいるものだ。
ダリはアトリエに籠りっぱなしとなり、さらに聖化したガラをキャンバスに描き込む。
宗教画が増える。
晩年のダリの絵はそのほとんどが宗教画である。
もっとも一目でダリのものとわかる、細密かつ大胆な構図のシュルレアリスティカルなものだ。

「ポルトリガドの聖母」はその最たるものであろう。
そして2人のための、ダリ劇場美術館の建造。
これには大変な時間と労力をかける。
彼らの共作と言っても良いような4000点に上る作品が収められた。
この時期、二人は完全に別居状態であった。
ガラはほんの一時館内を観てすぐに帰ってしまう。(別の男のところに)

ガラに対するダリの異常な固執は何であるのか?
ミューズとするには度が過ぎている。
また、通常な意味でナジャやキキ等とは違う。
やはり母親なのか?

「ガラだけが現実だった。ガラだけがすべて。」
やはりダリ本人でなければ理解不能な関係である。


「燕の尾」燕の軌跡がダリの絶筆であった。
ガラと2人で若いころよく一緒に観た燕の軌跡の絵である。
ここにあるのは軌跡だけで、ガラの姿はない。



ガラは死ぬ少し前にダリの元に帰ってくる。
その3ヶ月後、89歳の生涯をダリの元で終える。


2014年4月8日火曜日

カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ ~ 氷の海 ~


わたしの最も好きな絵の一つである。
勿論、画家もそうだ。


遥か彼方を打ち眺める人物。
しかも後ろ姿。

廃墟・廃園。

渓谷。

雲海。

自然の力ー氷に無残に打ち砕かれた船。

死と大自然の神秘。

そして月。

何をとっても、わたしの生理にぴったりくる。
自分がつい見入ってしまう絵とは、生理に沿う絵である。

彼の画集その他パンフレットなどの説明には必ず以下のことが書かれている。

13歳の時、河でスケート遊びをしていたところ、が割れて溺れ、彼を助けようとした一歳年下の弟クリストファーが溺死してしまう。フリードリヒはこの事で長年自分を責め続け、うつ病を患い自殺未遂も起こした。その後、姉や母も亡くし、彼の人格形成にも多大な影響を及ぼしたことは想像に難くない、といったことだ。

確かにそのとおりだろう。
しかし、その経験を経て、このような絵画作品を作成出来たのは、まさしくフリードリヒであった。
誰もが自分の極めて個人的な悲劇をこのような形で普遍的なものに昇華出来るわけではない。
そしてその感触がとても心地よい。
人を寄せ付けない冷酷な自然。
顔の分からぬ紳士(淑女)が遠い、遠い彼方をただ見つめ続ける後ろ姿。
キリコの人物が動かぬように、それらの人も永遠に動く気配はない。

夜空には月が凍てついて輝いている。

とくに「氷の海」の美しさ。
時間を失った世界。
フリードリヒが一生涯手放さなかった絵である。

その理由は、痛いほどによく分かる。